とびっきりをありったけ

しあわせでいてね

アイドルを教えてくれたきみ

 

「大好きな子猫ちゃ〜ん!」

 

「ダーリンとラブラブデートしようぜ〜!」

 

「愛してるよハニー!」



 

綺麗な汗を流しながら、遠くのファンにまで手を振って楽しそうにそう叫んでいた彼の姿を、わたしは今でも鮮明に思い出せる。いつだって宝石みたいにキラキラと輝いていて、とびっきりの笑顔を向けてくれて、ありったけの愛を届けてくれた。ここへくるまでいろいろあったけれど、彼は、誰がなんと言おうと、正真正銘「究極のアイドル」だった。

 

 

 


せかいでいちばんだいすきだったひとが、アイドルを辞めた。「アイドルを辞めた」という表現が正しいのかはわからない。わたしは今、彼のことを追いかけていないから、もしかしたら彼はあの頃と変わらず、アイドルとしてファンのみんなにしあわせを届けているのかもしれない。それでも、わたしのだいすきだった、たくさんのしあわせをくれた「ジャニーズのアイドル」であった彼は、もうどこにもいなくなってしまった。

 

 

 

 

 

わたしはアイドルが好きだ。始まりがいつだったかなんて覚えていないけれど、遅くともわたしは、3歳のときには既にアイドルが好きだった。
野ブタで亀梨くんに落ち、当時母親に強請ってKAT-TUNのデビューシングルを買ってもらったほどである。幼いながらも立派なジャニオタ街道への歩みを進めていた。(もちろん当時の記憶はないけれど、色褪せたDVDが今も自室に残っている)

わたしはそれから今まで、嵐、NEWS、KAT-TUNHey! Say! JUMP、SexyZone、King&Prince、SixTONES、なにわ男子……ジャニーズ以外でいえば防弾少年団AKB48など、とにかくいろいろなアイドルを通ってきた、らしい。こうやって並べてみるとあまりのミーハーっぷりに自分で引きそうになってしまうのだけれど、決してそういうわけではなく、わたしはそのときそのとき、とにかく全力でアイドルがすきだった。

結果的にわたしが落ち着いたのは、防弾少年団SixTONES、なにわ男子の3グループだ。キムソクジン、京本大我道枝駿佑という、ピンクがよく似合う顔の綺麗なひとたちが今の「自担」である。(ちなみにそれ以外のグループはコロコロ自担が変わったりもした。気が多すぎる)

このブログはそんな3人のことや彼らが所属しているグループのことを書くために開設したのだけれど、この先彼らのことを綴るにあたって、わたしには今どうしてもやらなければならないことがある。
ずっとやろうやろうと思っていたのだけれど、何を書けばいいかわからなくなったり、忙しさのせいにしたりして、結局今の今まで筆をとることができなかった。今ようやく、それを書こうとしている。

 



わたしが初めて「自担」だと自信を持っていえるひとだった。初めて自分のお金をかけたいと思った。初めて自分の意思でFCに入って、初めて泣きたくなるほどすきだと思った。彼は幼かったわたしに、アイドルという存在を教えてくれたひとだった。

わたしのオタクとしての「初めて」の多くを奪っていったのは、かつてジャニーズのNEWSに所属していた手越祐也くんだ。彼が自担だったときは、まさかいつかこんなブログを書くことになるとは、思…………まあ1ミクロンくらいは思っていたけれど(思ってたんかい)、それでもやっぱり彼みたいな人のことをアイドルというんだろうなあと思っていたし、彼の天職はアイドルだと信じて疑っていなかったし、心のどこかでずっとアイドルをしてくれることを願ってしまっていた。

 

彼を初めて見たのは多分イッテQだったと思う。茶髪のふわふわ髪の、わんこみたいに可愛いひとが、テレビの向こう側ではちゃめちゃなことをしていた。最初わたしは彼がジャニーズであること、ましてやNEWSのメンバーであることなんて知らなかった(NEWSというグループに山Pというイケメンがいることだけは知っていたけれど、前述の通りわたしは野ブタで山Pではなく亀梨くんに落ちた人間なのでそこまで興味がわかなかった)。そこからじわじわと気になってはいたけれど、ちゃんと落ちたのはこのときではない。

 

NEWSがチャンカパーナをリリースした。

山Pと錦戸くんが辞めたのを、遠くからみていた。NEWSというグループが4人になって、絶対的なセンターだった山Pがいなくなったのを、他人事のように感じていた。6人のときにしっかりと追っていたわけではなかったけれど、4人のNEWSは、それまでの時間が嘘だったかのようにわたしの目を奪った。シゲ、まっすー、てごし、慶ちゃんの並びで、きらきらヒラヒラの白い衣装を纏って歌う彼らが、とても輝いて見えた。車の中でチャンカパーナを流してもらっては大きな声で歌ったりもした。初めて見たときとは違う、綺麗な金髪を携えた彼のことが、気になって気になって仕方なくなった。

 

けれどわたしはそのとき嵐の方が好きだったような気もするし(曖昧)、すぐにコンサートに行きたい!とか、彼らが出てるテレビ番組は全部見たい!とかになることもなかった、気もする(曖昧)

イッテQはなんだかんだでほぼ毎週見ていたから、日曜日の夜にはテレビの向こうの手越くんに大笑いしたり、かっこいいな〜なんて思ったりしていた。

 

 

 

…………とまあ、ダラダラと落ちた経緯を書いても誰も興味ないと思うので、ここで割愛!

↑割愛で有名な(?)あの道枝くんもビックリ

 

 

とにかくわたしはその後なんやかんやで(雑)手越祐也というアイドルに落ち、初めて参戦したNEWSのライブであるWhiteのオーラスでテゴマスのキス未遂を生で浴び、なんやかんやで(雑)テゴマスというシンメに落ちたのである。(わたしのコンビ厨の歴史はここから始まった)(罪深い)

 

 

彼らはまさに、生きる希望、糧、生きがい、そういう感じだった。まだ小学生のガキンチョだったわたしを突如底のない沼へと突き落としたと同時に、彼らは溢れんばかりのしあわせを与えてくれた。毎年のツアー、冠番組24時間テレビ、15周年ライブなどなど…………とにかくわたしは、青春真っ只中の中高6年間を、NEWSのライブに行くことでどうにか乗りきっていた。自分にとっての青春は何かと聞かれたら、わたしは間髪入れずに「NEWS!」と答えるだろう。それくらい、彼らは、手越くんは、紛うことなくわたしの全てだった。

 

 

そんな日々が、突然、崩れてなくなった。

 

夢みたいだった。夢だと思いたかった。手越くんが活動を休止してからあの日まで、あっという間に時間は過ぎていった。

 

2020年6月19日。

 

嫌な噂ばかりを耳にしてしまって、どこの誰かも分からない人の「手越、今日18時半か」というツイートに怯えていた。嫌な予感がした。もしかしたら手越くんは、なんて、考えたくもないのに考えてしまった。

18時半、リーク通りに更新されたFCサイトを目に入れた瞬間、血の気が引いたことを覚えている。心臓をぎゅっと握りつぶされて止まったように、全身に血が巡らなくなる、そんなような感覚。自分の目を疑いたかった。誰かに嘘だと言ってほしかった。それでも、意を決して再生した動画の向こうの3人は、本当にこの世の終わりみたいな顔をして並んでいた。

小山さんが声を震わせながら話し始めたとき、ああ、終わっちゃったんだ、って、どこか他人事のように思った。

何が何だか分からなくなって、自室に籠って泣いて、泣いて、泣いて、ひたすら泣いた。受け入れたくないのに、信じたくないのに、勝手に流れてくる涙は本物だった。自室まで慰めに来てくれた父親にあたった。「裏切られた」なんて自分勝手に思った。何度も何度もツイートして、文字に起こしてみても全然意味がわからなかった。てごしが退所した、なんて言葉、理解できるわけないと思った。ヤケクソでスマホに入っていたテゴマスの楽曲を全消去したりもした。(これに関してはあまりにヤケクソすぎて自分でも本当に意味がわからない)

 

それから数日間、わたしはもう本当に屍のような状態だったと思う。塾で模試を受けている最中に泣いて、学校で友人と会って話を聞いてもらって泣いた。今考えると心底迷惑な話だと反省しているけれど、そんなことさえ考えられないくらいに憔悴しきっていたと思う。「ご飯ちゃんと食べてる?」「痩せたね」なんて声をかけられることも多かった。(後にこれを手越ダイエットと呼んだ)

彼らが生きがいだったから、彼らを生きがいにしすぎていたから、もう消えたいとさえ思っていた。そのくらい、人生の全てだった。

 

 

それまで何度も、担降りの機会はあったのだと思う。彼はひとよりもスキャンダルが多かったし、文春に連載を持っているなんて揶揄われていたひとでもある。熱愛、泥酔バスツアー、乱痴気騒ぎ、犯罪者と交流……真偽は別として(もちろん彼自身が否定してくれたものもあった)、彼をすきでいる間、それはもういろいろな方面から打撃を食らう機会があった。その度にわたしは文句をツイートして、「あ〜もう降りようかな〜」なんて言って、結局すぐにオタクに戻るなんていう、ルーティン化された流れを繰り返していた。だから、担降りの機会はあっても、わたしは本当に降りようとはしていなかった。できれば降りたくなかったし、降りるつもりも到底なかったのだと思う。

わたしが降りるより先に、彼の方からどこかへ行ってしまった。だから厳密に言えば、わたしは「担降り」できていなかったのかもしれない。

ここへくるまで、毎日のようにぐるぐる、いろんなことを考えた。わたしが好きなのは彼個人なのか、それともグループにいた彼なのか。これからも変わらず応援したいか。とか。

 

もちろんそんなすぐに結論を出せるようなものではなかったので、心が決まるまではなんだかんだで1年はかかったような気がする。わたしはNEWSにいた頃の手越くんが好きだったこと、ジャニーズのアイドルではない手越くんを追いかけられなくなったことに、ようやく気づくことができた。

きっかけ、といえるのかはわからないけれど、退所から1年くらい4人のNEWSに縋り付く亡霊になっていたところで、2021年、STORYツアーで横アリに参戦した。そのときは、心のどこかでわたしは、未だに、NEWSには手越くんがいないと、なんて思ってしまっていたのだ。元担のひいき目はなしにしても、彼は本当に歌がうまかったし、ダンスもできたし、バラエティも強かったし、まさにNEWSの顔といえるひとだったから、そんな手越くんがいなくなったNEWSを、心のどこかでもうダメなんじゃないかって思ってしまっていた。

けれど、それは甚だしいほどのわたしの思い違いでしかなくて、NEWSは、彼らの全てを、ただひたすらに届けてくれた。初めて3人のNEWSを生で見て、このひとたちなら絶対に大丈夫だと確信したのと同時に、手越くんがいたNEWSにこんなにも縋ってしまっているのはわたしだけで、3人はとっくに前を向いているんだ、なんて思って、横アリのアリーナ席で彼らを見ながら大泣きしたことを覚えている。

 

そこでようやく、「手越担」としての自分を終えることができるような気がした。3人のライブを見て、なんていうのもおかしな話ではあるけれど、自担がいないグループを見て、自担がいないことに戸惑いながらも、やっぱりNEWSが好きだ、と思えた。わたしは確かに「NEWSにいた手越くん」が好きだったけれど、それだけではなくて、「NEWS」というグループそのものが好きだったんだと、ひどく長い遠回りをして気づくことができた。

こうしてわたしはやっと、胸を張って「担降りしたよ」と言えるような気がした。

 

 

彼の話に戻るが、彼はわたしに本当にたくさんのしあわせな思い出を与えてくれた。

今でも色褪せることなく、キラキラと輝いて美しいままの時間は、心の奥底の宝物入れにずっとずっとしまっておきたいと思う。しょっちゅう思い返すようなことはなくなったけれど、ふとした瞬間に頭の中に浮かんできて、あのときは楽しかったななんて思うのは、切なくも心がじんわりと温かくなるのだ。

彼に言いたいこと、というか、文句は正直たくさんある。わたしを救いようのないくらいのコンビ厨に仕立て上げたのも、自担一生ピンクの呪いに掛けたのも、おそらく全部彼のせいだ。けれど、与えてもらったしあわせがあるから、それを敢えてここに書くようなことはしないでおきたい。正直たくさんあるけど。たくさんあるけど。

 

 

彼は、完璧で究極のアイドルだった。唯一無二のアイドルだった。最低で最悪なアイドルだった。せかいでいちばんだいすきだった。あの有名な歌に準えて言うなら、彼のようなアイドルは金輪際現れることはないだろう。わたしにとっては彼こそがまさに一番星の生まれ変わりだった。

 

たくさんのひとをしあわせにしてきた分、しあわせになってほしいとは思っている。それでも、彼と一緒に夢を見ることはやめる。難しいようで実は簡単な話だった。わたしは手越くんを好きになれたことで成長できた気がするなんて、そんな傲慢なことだって考えてしまっている。彼はわたしの人生のあまりに大きな一部分だった。

 

 

 

手越祐也くん。

 

今世では、本当に本当にたくさんのしあわせをありがとう。しあわせ、うん。きみのことを好きでいた時間は、しあわせだったよ、なんだかんだで。他の何にも代えられないほど、すっっっっごくしあわせだったと思います。

もちろん届くわけないって分かっているし、こんなものはオタクのエゴでしかないんだけれど、もし、もし来世が存在するのなら、わたしはもう一度アイドルのきみに出会いたい。

バラエティで活躍するきみを見て大笑いしたい。ライブ開始と同時にきみの姿をこの目で捉えて泣きたい。綺麗な汗を流しながら、遠くのファンにまで手を振るきみに会いたい。きみの顔や名前が印刷されたうちわを振りたい。大声できみの名前を呼びたい。いつだって宝石みたいにキラキラと輝いていて、とびっきりの笑顔を向けてくれて、ありったけの愛を届けてくれるきみを、全力で目に焼き付けたい。何年経っても決して色褪せないような思い出を一緒につくりたい。

手越くんに「子猫ちゃん」だとか「ハニー」だとか呼ばれるの、恥ずかしいなあ変だなあとは思っていたけれど、なんだかんだだいすきでたまらなかったんだよ。

 

 

だから、もしも生まれ変わったら、わたしはまた手越くんのオタクとして生きたい。

だから、手越くんも、もしも生まれ変わったら、わたしのためにまたアイドルとして生きてね。

 

 

 

アイドルでいてくれてありがとう!!!!!!!!!!!!!!!せかいでいちばんだいすきだったよ〜〜〜〜〜!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!